[感想]本にだって雄と雌があります/小田雅久仁

080401

お薦め度:★★★★☆

気になる作家さん、めっけ♪

内容紹介にあった「マジックリアリズム」という言葉にいきなり心を持って行かれた。

なんなんだ、この怪しくも魅惑的な言葉は……、と早速検索をしてみる。頼りのwikipediaの説明は専門的すぎて、わかったようなわからないような、自分自身が「マジックリアリズム」とやらになったみたいな気分になってしまったので、他を探す。

と、yahoo!知恵袋にわかりやすい説明発見。

マジックリアリズムな作品とはどんな感じのモノなんでしょうか? – Yahoo!知恵袋

現実の世界と、まったく異なる法則の出来事が混在していて、どこからどこまでが現実で、どこからどこまでが幻想か、判然としない物語をマジックリアリズムと呼びます。(中略)普通にどこにでもいるお婆ちゃんが空を飛んだり、子供が蛇を飲み込んだり十年経って生まれてくる赤ん坊とか、それを違和感無く受け止めている周囲の人間がいたりするので、いったい、どこからどこまでが現実か、幻想か、読者がわからなくなる。そういう小説を魔術的リアリズム作品、マジックリアリズム小説といいます。

ふむふむ。

どうやら私がかねてから「現実から5センチくらいずれたところにある物語」と読んでいたものの親玉みたいなものらしい。

だったら、これは期待できるわぁ。

とばかりに読み始める、が、最初のうちはさっぱり話にのめり込めない。父の博が息子の恵太郎へあてた手記という形で物語は進む。そこに描かれているのは、博の祖父、恵太郎にとっては曾祖父にあたる與次郎の生涯と彼にまつわる幻書の話。

つらつらと語られるその内容はそれなりに平凡で、ときおり幻書が宙をまったりするものの、それ以外にとりたてて面白い事件も起こらない。

途中で飽きなかったと言えば嘘になるのけれども、それでも読むのをやめなかったのは、うっすらとした確信のようなものがあったから。

そう、この手の本は中盤までの退屈さが後半一気に収束して、前半の長い長い辛抱あっての感動が呼び起こされることがままあるのだ。そのまま何もなくって、時間返せ!となることもないではないけれど、そこはまあ、信じるしかないよね。

そんなこんなでだましだまし半分ほど読んだところで、期待通りに物語は加速を始めた。白い象と光るキノコがいい味を出してるんだ、本当に。

博の手記を読んでいたはずが、いつしか物語の中にすっぽり取り込まれて、自分自身が読んでいるのか、読まされているのか、はたまた物語のお飾りになっているのか、何が本当で何が嘘なのかさっぱりわからないまま(これこそがマジックリアリズムの真骨頂!?)それでもひとつはっきりと言えるのは、本好きのいく先にこんな人生が待っているのだとしたら、なんて素敵なんだろうってこと。

でもそのためにはおっきな蔵とか、壁面いっぱいの書棚とか、そんなものが必要だよね。いやいやその前にもっともっとたくさん本を読まないとね、とか本筋とはまったく関係のないことをあれこれ考えているうちに読了。

いやあ、面白かった。與次郎さんを中心として、本の世界を右へ左へと引っ張り回されたかのようなこの感覚、たまりませんです。

本好きさんにお薦め♪

ふと、この場がはるかな太古に張られた大きな天幕の中であるかのような感覚に囚われた。家族が身を寄せあい、語らい、笑いあうことによって、巨大な夜の力に抗っているのだ。そしてそれは人類がこの世界に産み落とされ、火を囲んで言葉を話すようになって以来、もっとも古い、そしてもっとも永遠に近い楽しみであるかのようだった。