[感想]憂鬱でなければ、仕事じゃない/見城徹・藤田晋

062601

見城さんの珠玉の名言

幻冬舎社長の見城徹さんとサイバーエージェント社長の藤田晋さんの共著。単行本の時から気になっていものが、ついに文庫化されるとあって迷うことなく飛びついた。

見城さんが仕事をする上でモットーとしている1行ほどの名言に対し、見城さん、藤田さんおのおのが見開き1ページ分の解説・解釈を展開するというスタイルになっている。中でも印象に残った言葉は

  • 努力は自分、評価は他人
  • これほどの努力を、人は運という

の2つ。

とくに「これほどの努力を、人は運という」は、言葉そのもののリズムも五七五調になっていて、頭の中で転がしていても、じつに小気味良く響く。

それでも、全体を通して読んでいて、

おぉ、見城さんは何て素晴らしい

とならなかったのは、自分自身がいるステージと見城さんのそれとがあまりにも違いすぎるからだろうか。

夫には読ませたくない本

よく「もう歳だから」という言葉はよくない。何歳になってもチャレンジ精神を忘れてはいけない、などと言うが、それでもこの本はやはり若い人向けだと思う。

もしもこの本をパパ太郎に見せたとして、それでもって思いっきり感化され、よし自分も!なんて思われたとしたら、とんでもないことになりそうな気がしてならない。

なにせ還暦をすぎたという見城さんがとにかくパワフルなのだ。義理人情、貸し借りを重んじるがゆえに、とんでもない行動力なのだ。睡眠時間も2~3時間で大丈夫って、それは一体なんなのだ?

若くてバイタリティあふれる頃ならともかく、パパ太郎の年齢になって真似をしようなんて思った日にはもう、健康をそこなうのが目に見えるようだ(←まあ、本人も真似しようなんて考えないとは思うが)。

しかもお金遣いも仕事のためとなると何やら豪快そうだ。

41歳にして角川書店の取締役になったというのに、幻冬舎を立ち上げる時には一銭の貯金もなかったというのだ。経費を超えて出費をするので、給料のほとんどが交際費に消えていたという。

バイタリティがあって豪快な人ならば、さもありなんといった話だが、これを凡人が真似をしたらどうなるか。ただひたすら家計が苦しくなって、しまいには仕事も家庭も上手く行かなくなる……なんてことになるのが関の山だ。

自分で自分の枠を決めてしまうのはつまらないとは思うが、それでも歳を重ねるにつれ、はみ出してはいけない枠というものは確かに存在する。それ相応の年齢のが読む場合は、自分の器にあわせて本の内容を上手く取捨選択する必要も出て来るだろう。

20代、30代の人にこそお薦め

というわけで、やはりこれは若い人向けの本なのである。

夢と希望にあふれ、それと同時に社会での挫折を少しずつ経験し、もやもとしている人。誰かに喝を入れてもらいたいと思っている人。さらには全身全霊で仕事に打ち込むことに美学を見いだしている人、そんな若者への指南書とも言えるだろう。

だから、おばちゃんの私が読むと、ちょっと息切れがする。見城さんは私よりもずっと年上なんだけれどもね。

藤田晋さんとは何者ぞ?

ところで、本題とは少し違うところで不思議に思ったのが、藤田さんの交友関係。

合理的であることをこよなく愛するあの堀江貴文さんの盟友であることは周知の事実だが、その対極とも言うべき義理人情を重んじる見城さんともまたウマが合うというのは、いったいどういうことなのか。

本書を読んでいても、そのことが頭の中でぐるぐる回ってしかたなかった。

相手によって自分を変えているとは思えないのだが、それでもこれだけ真反対に見える二人と仲が良いというのは、かなり不思議なことだ。

もっとも、よくよく考えてみれば、何事においても究極を極めようとする真摯な姿勢という点においては、見城さんも堀江さんも相通じるところがあるように思う。違うのは、その究極に至るまでの手段といったところか。

そうして、仕事に真摯である人を見抜く目の鋭さこそが、藤田さんの強みなのかもしれない……ってなことを本書を読んでいて感じた。

それとも計算高さ?

かつて「計算くん」と揶揄されたことがあるいう話には笑った。ひょうひょうとしているように見える藤田さんにそのような側面があったとは。

実はもう1冊

本作と同時に発売された著書に「絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ」というのがある。「憂鬱でなれば……」と同じ形態の本でいわば兄弟のようなものだ。いや、本だから続編と言うべきか。

もともとは「人は自分が期待するほど、自分を見ていてはくれないが、がっかりするほど見ていなくはない」のタイトルで2012年4月に単行本としテ発売されたものが、今回の文庫化で「絶望しきって死ぬために、今を熱狂して生きろ」にタイトル変更されたものだ。

確かにこうして見ると、前のタイトルは長すぎて心に刺さるものが少ないが、文庫のタイトルはどこか刹那的でだからこそ惹かれるものがある。

見城さんも単行本が発売された後で、やっぱりタイトルはこっちのほうが良かったかなあ、ということで今回の変更に至ったらしい。

で、兄弟本なので、最初はこちらの著書も読むつもりでいたのだが、実は「憂鬱でなければ」だけでお腹がいっぱいになってしまった。私はきっと、彼らほどにタフじゃない。