[感想]色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年/村上春樹

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お薦め度:★★★★☆

ベストセラーではなくて、たとえ少部数でも今読むべき人に届いて欲しい作品

商業的成功うんぬんは別として、まだ内容もよくわからないうちから、これほどまでに本が売れてしまうというのは、その作品にとってはたして幸福なことなのかどうか。

読み終えてすぐに、そんなことを思った。


多くの人が経験していると思うけれど、その時の自分自身の置かれた環境、心の持ち方、求めるもの、体調など様々な要因によって、それがたとえ同じ本であっても、受け止め方が驚くほど変わってしまうことがある。

ストーリーの面白さで引っ張るエンターテイメント小説ならまだしも、人の心を描こうとする純文学系作品では、その傾向は顕著だ。

本作は、もちろん純文学系の作品で、主人公の多崎つくるは、高校時代に「長く親密に交際していた四人の友人たち」から、大学2年生の夏休みに絶縁を言い渡されてしまう。そうなった理由は「自分で考えればわかるんじゃないか」とだけ言われて。

理由もわからぬままに心に大きな傷を抱えて生きてきた多崎つくるは、36歳になって初めて、その理由を知るためにかつての友人たちを訪ねることとなる。

ひとことで言ってしまうなら

喪失と再生の物語。

けれど、ここで言う喪失とは、たとえば失恋だとか、近しい人を亡くすだとか、夢や希望をなくすだとか、そういった種類の喪失とはやや趣が違うように感じる。

もっと普遍的なもの。

たとえば、川を流れるうちに小石の角が少しずつ削りとられて行くように、人ひとりが長い年月を生きている間に、自分でも気づかないうちにそぎ落とされて行く「何か」。

その「何か」は、おそらくは本作を読む人によって個々に違って来るような、それでいて「喪失」という言葉ではひとくくりに出来るような、そんな類のものなのだ。

根本的には同じであっても、ひとりひとりの生きてきた経験によって微妙に形を変えているものを作品の中に描くことは難しい。100人いれば100通りの経験があるのだから、そのものずばりを取り上げることはもちろんできない。

だからといって哲学か何かの教科書のように小難しく取り上げたって意味はない。

そういった難作業を可能にするために、本作は長い長い道のりを読者がともに歩いてくれるように多崎つくるという主人公をすえた。過去のしがらみを表現するために、高校時代の4人の友人が作られた。そうして、自分に自信が持てない主人公の肩を押すために、沙羅という女性が加わった。

彼らは皆、私たちの心の奥底に眠っているものを引っ張り出して、ジャブジャブと洗い、綻びたところを繕い、順番を並べ替え、そうして喪失の記憶をふわっと広げて陰干するのを手伝うためにいるのだと考えれば。

何がなんでも感情移入をする必要もないし、登場人物たちがあっさりと描かれていたとしたって、別段不都合はない。

ただ、そういう風にとらえらえることの出来る人は、そんなに多くはないだろうと思う。というか、この本を手にした日本国内の何十万(やがては100万を突破するのは確実だと思うけれど)もの人々が、何らかの喪失感を抱えて生きているのだとしたら、それってちょっとまずいんじゃないの、という気がする。

そうしてたとえば

僕らはそれぞれ力を尽くして、それぞれの人生を生き延びてきた。そして長い目で見れば、そのときもし違う判断をし、違う行動をしていたとしても、いくらかの誤差はあるにせよ、僕らは結局今と同じようなところに落ち着いていたんじゃないのかな。そんな気がする

という文を読んで、1ミリも共感できずに、運命は自分で切り開いて進むものなんじゃないか、と思う人は、たぶん、おそらくこの作品には向いていない。

たとえば10代の若い人とか。夢と希望に満ちあふれた20代の人とか。

もっと年を重ねた、30代後半以上の人が読んで初めて、多崎つくるによって自分の記憶が引っ張り出され、そうして読み終えた時に少しだけ救われたような気持ちになる、そんな経験をすることができるんじゃないかと思う。

そういう意味では。

何度も言うようだけれども。

世間のお祭り騒ぎにのって、タイトルだけ見て買うような作品ではないのだ。

本来ならばまだ必要のない人にこの作品が渡ってしまい、そうして必要以上に作品が貶されることがないよう、今はただそれだけを願っている。

なぜなら、私にとって「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」とても素敵な作品であったから。